ソーシャルメディアの在り方

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ソーシャルメディアの在り方

INTERNET watchによれば、「ソーシャルメディアサミット2011」が15日に都内で開催されたそうです。以下、その引用。

「日本のソーシャルメディア」「日本でのFacebook」「企業のソーシャルメディア利用」「ソーシャルメディアが何を変えるのか」の4つのテーマに関 して、それぞれの分野で活躍するパネリストを集めたパネルディスカッションを実施。それぞれ、AMN代表取締役であり著名ブロガーである徳力基彦氏が話を 聞き出すイベントとなった。

mixiを運営する株式会社ミクシィの辻正隆氏は、特徴として「心地のよいつながり」を挙げた。Twitterが有名人などともつながる数百人規模の「イ ンタレストグラフ」、Facebookが同僚・友人を中心とする150~200人程度の「パブリックグラフ」であるのに対し、mixiは親しい友人・知人 との数十人とつながる「プライベートグラフ」だとして、「ちょうど年賀状を送るぐらいの人数」と説明した。

GREEを運営するグリー株式会社の伊藤直也氏は、「コミュニケーション量が最大化されるのが幸福である、という考え」と説明。「“宿題終わった”“お 疲れ”といったコミュニケーションが多い」と紹介し、価値のある情報もいいが、そうしたチャット的なコミュニケーションがを数多くやりとりされていること が受け入れられていると語った。

グリーの伊藤氏は、「インターネットは、誰が言ったかより何を言ったかが重要といわれるが、ソーシャルメディアで、何を言ったかより誰が言ったかが重要になってきている」と、コンテンツにおいて人が軸になっていくことを指摘した。
ミクシィの辻氏も、友人が勧めた本を買ってみるなど、友人・知人関係が消費行動に影響することを挙げ、「SEOからSGO(Social Graph Optimization)へ」と、企業サイトがソーシャルグラフに最適化する必要性を説いた。
デジタルガレージの佐々木氏も、「Twitterでは、企業ユーザーが情報を発信したり、お勧めのユーザーを提案したり、人を軸にして新しい発見がある」と、Twitterの特徴を語った。

ソーシャルを一言で言うなら「公」と筆者は考える。「社会的な自分の位置づけ」を呈した上でのメディア(この場合は媒体と訳すよりも手段と言った方が正確か)。

日本ではながらく匿名文化というものが形成されている。これは、自分という個を隠すことによって自分よりも主体を発言や表現などに重点を置くスタンスだ。
決して隠れてこそこそやるためのものではない。完全な匿名というものはありえないが、刑法に触れない限り、実際の利用シーンとしては理想的なほどに匿名であることもまた事実だ。

そこへきて、twitterを初めとしたソーシャルメディアが台頭してきたことで、そういった「主体」が再び個に帰結しようとしている。その中でもfacebookは驚異的に会員数を増やしたことで有名だ。

ところで、筆者もmixiやtwitterはやっているが「ではfacebookをやるか?」と訊かれると首をかしげてしまう。加入に対する大きな理由は「匿名を受け入れるかどうか」という点に尽きる。
(編集注:facebookは公には実名での登録を呼びかけており、つい先日も匿名登録と思われるアカウント削除騒ぎがあったことで知られる)

なにもfacebookに匿名文化を受け入れよ、といっているわけではない。筆者個人としては実名でなければならないのなら利用しないというだけの話で、むしろその結末は見守りたいので是非その姿勢を貫いて欲しい。

匿名文化が必要な人は、匿名性が許される場所でコミュニティを形成すればよいのであって、わざわざ許されないと分かってて足を踏み入れないということ。もし踏み入れたとしても、「個」より「発信」に重きを置くのであれば合わないと思って退会してしまうだろう。

話を戻して。

ソーシャルメディアが「公」での表現手段であるならば、これまでにも実はブログであったりwebサイトがあったりとごくごく小さい規模の、いわばパーソナルソーシャルメディアはあり、そこで我々はコミュニティを形成してきた。
この中にうまく日本人の気質にあうように取り込まれていった匿名文化。これを引きはがすことは容易ではない。むしろ、急速に大きく変えようとするならバランスを壊す、と筆者はあえて警告する。

そもそも実名登録を好む方でも「用がなければ自分が何者であるかをいちいちアピールしない」のであって、受け手からすれば匿名と何ら変わりはない。

webサイトで画像を公開しているからといって「相手の顔が見える」という主張をすることがおかしいことにデジタルディバイドのこっち側(ネットをよく利用して独特の文化にも慣れている方)にいれば容易に分かる。相手がその画像に興味がなければ見ていないのも同じこと。ましてやLynxでサイト見てたらそもそm

筆者はどちらもあっていいと思うし、どちらかにしなければならない、とはまったく思わない。むしろその混在が人類の混沌とした様そのものであり、リアルだろう。その意味で、どちらかを推すということはないし、推す人こそを疑う。
本当にそう思ってるの?と。

匿名文化は廃れるのか。はたまた日本独自に形成された匿名文化は生き残るのか。どちらの側であっても益があるなら容易にはそのバランスは壊すべきではない(あなたではなく、相手に、ね)。

【2011.2.17 18:25追記】
上記のような世迷い言をいっていたら、続報ではないのですが関連記事が出てましたのでご紹介。
津田大介氏「Twitterがもたらしたのは賛否両論の可視化。Facebookは賛ばかり」

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